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こんにちは。

ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドに関する合同レビュー記事は後日あがる予定で、メンバーのみんなからはアンケート募集中ですが、その前に・・・

久々にここまで感動したゲームに出会ったので、合同レビューの前に私個人だけの単体記事として、本作を遊んで、見つめて、考えて、感じたことを書いておきたいと思います。

幼稚園児みたいでさらにどことなくわざとらしい文章でまとまりもないですが、
既に遊んでいる、遊んだ人はもちろんですが、これまでのゼルダが好きで色々とアタリマエを変えてきたために合わないなと感じた人、ゼルダは遊んでみたいけどスイッチごと買うのはちょっと・・・という方にもぜひ読んでもらえればと思います。





まずはじめに結論から書いておこう。

今回のゼルダを一言で表すなら

リアルと非リアルの使い方がとても上手なゲームだった。

ゼルダを語る前にゲームにおいてのリアル(現実、日常的)とリアルではない(非現実、非日常的)について私の見方記しておこう。

勇者が魔王を倒しお姫様を救う系の世間的にザ・ゲームなゲームには非日常的な設定、現象が多い。

例えば、マリオがジャンプ後空中でちょっと後ろに戻ったりできるのも、現実ではあり得ない行為だ。幅跳びの選手が踏切後、空中でちょっと遅くなって後ろに戻ったりしたら笑ってしまう。

だが、マリオの場合予想される着地点に敵がいるとプレイヤーは空中で思わず進行方向とは逆に十字キーを入力してしまう。
そして、マリオはその通りに動いてくれる。

現実ではあり得ない事なのに、プレイヤーは自然と操作を行い、ゲームはその操作を当然かの如く受け付ける。


何気ないことだがとても不思議なことである。
改めて考えるとゲームにはそんな現象がたくさんある。

その非現実を非現実と思わせず自然と感じさせてくれるからゲームは面白い。

今回のゼルダはその2つの組み合わせが至る所に散りばめられていると感じた。
そして、その非現実的な現象を"ここではそういうものなの!"とゼルダのアタリマエをプレイヤーに納得させる、自然と身に付けさせその応用から閃きを心地よく生み出すつくりになっていると思う。


特にチュートリアルとも言える老人と過ごすはじまりの台地ではそれを強く感じた。

説明もなく回生の祠からほっぽり出されたリンクは枝を拾い、この枝が振り回せることを覚える。

少し進むと木にリンゴがなっているのを見付ける。
現実世界では道端にある木の実を採りたいなんて、そんなこと絶対にないのに、採りたくなって木に近付くとリンクが木にしがみついた。
そのまま登ることが出来る。リンゴに近付き、採ることが出来た。ポーチ画面を開いてみるとどうやら食べることで回復できるらしい。特に驚くこともなくちょっと考えればまぁ当然だ。

さらに少し先に焚火をしてる老人がいる。近付くと意識せず手にしていた木の枝に火が引火する。
「おぉ、火だ火だ。これは強そう!」

先ほどのリンゴ同様ごく自然なことだが、"木に火がつく"この現象がゲーム画面の中でごく普通に起こるのを目の当たりにするとなぜが驚いてしまう。
意識もしていないからなおさらだ。

さらに、焚火の近くに黒ずんだ物体が落ちている。拾ってみるとどうやら"焼きリンゴ"らしい。

そんなもの道中に落ちていなかったし、明らかに自然には拾えない加工品だ。
老人曰くリンゴは炙った方がおいしいらしい。

・・・ん?炙る?もしやと思い、ポーチ画面を開き先ほど採ったリンゴを選択する。
しかし、火にかざすといったコマンドはなく、手に持つコマンドしかない。とりあえず、手に持ったままポーチ画面を閉じる。

すると今度は置くという操作が出現。焚火の近くに置いてみる。すると、リンゴに火が付き数秒で先ほど見た黒い物体に変わった。
そう、焼きリンゴになったのだ。確かにリンゴを火の近くに置いたのだから当然だ。

だが、ゲーム中で火というオブジェクトがしっかりと火として、現実世界と同様の現象をもたらすことに驚いてしまった。些細なことだが序盤でここまで感じさせてしまうこのゲームはすごい。
過去にゼルダで火といえば矢に引火させて撃ち込み遠くのスイッチに火をつけるといった動作もあった。その時はあくまで火はスイッチを点けるための道具であって、厳密には火ではなかった。

実際に現実世界でリンゴに火がつくことはない。だが、火の近くに置けば何か熱さによる現象が起こるだろうと老人のアドバイスから、もしくは焚火の近くにリンゴがあるという場面からプレイヤーは自然にもしやと閃き動けたのだ。
ここで一つ覚えたことがある、火はオブジェクトに引火するというこのゲーム内だけでのアタリマエだ。少し非現実が混ざっているがなぜか納得できる、説得力がある。

さらに、進むとボコブリンという赤いモンスターがこっちに向かってきた。
武器は持っていないが先ほど拾った木の枝を持っているのでとりあえず振り回して攻撃する。

序盤のモンスターなだけあって強くはない。すぐに倒せた。すると、モンスターから得られる素材の他に手にしていた武器が転がった。
こん棒である。明らかに木の枝より強そうだ。
欲しい武器があったらこうやって奪い取ることでパワーアップしていけるのだと学習することが出来る。目に見えない経験値が貯まっていくのを感じる。
だが、こんなことも当たり前だ。


さらにさらに進むと今度は斧が落ちている。強力な武器だ。
拾ったのでとりあえず振り回してみる。大振りで隙があるが強そうだ。すると、範囲内ににあった近くの木を切ってしまった。

どうぶつの森で友達の村で嫌がらせをしていたあの行為を意図せず行ってしまった。
だが、斧が武器ではなく木を切る道具としても機能することに気付かされた。
よく考えればとても現実的だ。


さらに、場面は飛ぶが今作では金属製のものに雷が落ちる。実際は高いものに落ちるがハイラルの世界では金属に落ちるのである。
この現象を使い、雷雨の中敵との戦闘中に槍を敵側に投げそこにタイミングよく雷が落ちれば一気にダメージを与えることが出来る。

この雷、現実世界の科学、物理法則ではあり得ないが、なぜか自然と説得力を持った現象に納得してしまう。
明らかに非現実的だ。

他にも草を燃やすことで上昇気流が発生し上空に飛び上がることが出来たり、


・・・と、この流れで語っていくと途方もないのでここらでカットすることにしよう。


これまで述べてきたことは、よく考えればごくごく自然なことよく考えた結果自然なことだと思ってしまう現象だ。

その当たり前がゲーム画面内で自然を出来ること。当たり前ではないことを当たり前だと思わせてしまうこと。
今まで実践してきたゲームもあると思うし、見過ごしてきたものも多いかもしれないが、ここまで多く現実と非現実を上手に取り入れデフォルメし、プレイヤーの感性に応えてくれるゲームはゼルダがはじめてかもしれない。

繰り返しになるが、現実、非現実的の代表的な行為に崖を登るというものがある。今回のリンクはありとあらゆる壁に貼り付けるのだ。この時点で非現実的だ。
だが、なぜかがんばりゲージといういわゆるスタミナが存在する。この制限のないであろう世界で唯一ともいえるとても大きな制限だ。どこまでも登るということは不可能になっている。
壁に貼り付けるという非現実にスタミナという現実を組み合わせてしまったのだ。これとは別に雨の日は滑って登りにくいのもまた現実的な制限がかかっていると言える。

いざ登ろう!と思った時の雨は正直イラっとしてしまう要素だが、スタミナに関してはとても面白かった。もしスタミナがなければ、登山ルートなど練る必要がなくただスティックを上に入れ続けてればいい。
楽だが楽すぎてゲームとしてはつまらない。スタミナ制くらいの制限があった方がこう登ればスタミナを途中で回復できるな、といった作戦を練り、実際に実行に移す楽しさが生まれる。

リアルと非リアルを巧みに組み合わせたからこそ、プレイヤーのしたいと思ったことがなんでも出来る自由度の高い世界を作り出せたのかもしれない。


さて、リアル非リアルの話は一旦この辺で。
今作はアタリマエを見直しただけあって勇気のある決断だったシステムも多かったように感じる。

上述したように出来ることが多くプレイヤーへのリアクションも多いとなるとゼルダの醍醐味である謎解きもまた変わってくる。
今までのゼルダはドアを開くスイッチがあれば、スイッチに載せる用のオブジェクトがあり、火が必要になれば、近くに意味ありげなたいまつがたっていたりした。

解法はほぼ一つだった。だが、今作は周りにあるもの、自分が持っているものどれを使ってもいいから突破してみな!と言わんばかりに出来ることが多い。

スイッチにしても、別に重そうな物体を探してくる必要など最初からなく、自分の持ち物全て外してスイッチの上に置くことで動かすことも可能だ。要は重そうな物がなければ軽いものをたくさん用意すればいいという発想をする人用にこういった解法も公式が意図して用意したかどうかは別として、存在していることになる。

こうなってくるともはや何でもありだ。通常謎解きは作る側がこうやって解いてほしいと謎と解法を用意している。
スーパーマリオメーカーなどのクリエイト系のゲームを遊んだことがある人なら分かると思うが、自分が作ったコースを人に遊ばせる時、見るポイントはこの人はどうやってコースを進むかではなく、コースの欠陥でもなく、用意した謎や困難を自分が隠した解法を使って解いてほしい、さて、見付けられるかな?という自己中心的な思考が働く。しまいには、ここに隠しブロックがあって・・・と自ら種明かしをしてしまいどちらも得をしないこともある。

実際のゲームも少なからずこういったダンジョンがある場合もあり、納得できないままクリアできてしまったこともあるだろう。

その点ゼルダは作る側が用意した謎に対して、これだ!というたった一つの解法を用意するのではなく、組み合わせによって突破出来るであろうオブジェクトをいくつも用意することで、解法に縛られない作りになっている。
解法に縛られないゆえにダンジョンのバランスが崩壊し兼ねないが、祠という神聖な場所という設定を設けることで、上空に飛び上がるリーバルトルネードのような特別な力を使えない空間を用意している。

ある程度見本解答のようなもの、想定されている解法はあるだろうが、それからも外れた解法だって存在しうる作りになっている。デバックにどれだけ時間を費やしたのか分からないが、これまでのゼルダの謎解きのアタリマエを知っている私からすれば、今までのアタリマエを捨て新しい謎解きを取り入れたことに苦労があったであろうことは容易に想像できる。

恐らく、公式は想定していないであろう解の一つとして自分に爆風を当て向こう岸まで飛んでいくという破天荒な突破の仕方をしているユーザーも見掛けた。 


また、ストーリーもアタリマエを見直した結果大きく変わっている。
まず、リンクは記憶喪失状態だ。自分が何のために眠っていたのか、過去に何をしていたのか全く覚えていない。

ストーリーを進めることで記憶を取り戻せるスポットを巡ることになるが、ここがポイントとなる。

今回のストーリーにはオープンワールドゆえに決まった順番がない。今までのような順番が決まっているストーリー構成だと時系列がバラバラとなり、矛盾が生じてしまう。

スポット巡りによって断片的に思い出すことによって、物語の繋がりをある程度曖昧にし、矛盾が生じない作りになっていると感じた。
記憶の中によく分からないけどかわいい女の子が出てきても全く構わない。記憶がないのだからリンクもプレイヤーもその女性が誰か分からなくて構わないのだ。今後取り戻す記憶でそれが誰だか分かるのだから。 

取り戻した後に恐らくこういう順だろうと並び替えて映像を振り返ることで物語が現状のハイラル王国の風景と、4人のキーパーソンと合致する。
まさにリンクの名前の由来ともなっているプレイヤーとの繋がり(リンク) が実感出来る。

オープンワールドというゲーム設計だからこその記憶喪失設定なのかもしれないが、結果としてプレイヤーとリンクの繋がりを強固なものにすることが出来ていた。 



後半2つはリアル非リアル構想から離れたが、どちらも根底にはこの2つの要素の組み合わせがあり、ゼルダに限らずテレビゲームにおいてはこの2つの組み合わせが非常に重要だと思う。
それを再び実感し、いくつもの体験ができ、こうやって考えるに至ったことはゲーマーとしてとても幸せな時間だった。

これまでのゼルダは初代でも広大なマップを用意し、ファミコンクオリティの理不尽さはあったものの、冒険する楽しさがドットの画面の中に詰まっていた。

原点回帰しデフォルメされたリアルな世界で何でも受け入れてくれる、何をするか自分が決められる広大な自然はまさしくブレスオブザワイルド (野生の息吹)だったと思う。

人には合う合わないはあると思うが・・・

改めて、ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルドは今まで遊んできたゲームの中でも最高の体験が出来るゲームとしてお勧めしたい。

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